孤独なおちんちん

かなり恥ずかしがり屋な30代独身男性の孤独なブログ(U)主に自己啓発系の書評や自分の人生について語ります(U)

生物の創造論が進化論を否定する科学的根拠は何なのか

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米国で進化論を信じる人が過半数超え。

逆に言えば、創造論を信じている人が過半数近くいるということ。

日本人からすると理解できない。

 

でも米国の約半数が信じているということはそれなりに納得してしまうような根拠があるんだろう。

ざっと調べると創造論と聖書を絡めた話が多いので、単純に考えると、創造論を信じさせることでキリスト教、もっと言えば聖書の権威を高めたいという思惑があるんじゃないかと勘ぐってしまう。

 

実際そういう側面はるだろう。

だからといって米国の過半数の人達が手放しで創造論を信じるとは思えない。

いくら敬虔なキリスト教徒だからって科学的根拠が薄っぺらかったら現代人はついてこないだろうから。

 

そこで、科学的な根拠を出しながら創造論を主張している本を探して読んでみた。

 

「科学の説明が聖書に近づいた」

うん、失礼な話、タイトルだけ見るとなんとも怪しげ。

でも読んでみると、たぶん過半数の米国人が科学的な根拠にしているだろうなと思える説明がいくつもあった。

創造論を主張している人たちの科学的根拠の中でもおもしろそうなものを中心に見ていく。

 

地層や化石は大洪水で一挙に作られた

中学校の理科で、地層は長い時間をかけてゆっくり形成されたものだと教わった。

そして化石は、その時代ごとに地層に閉じ込められて化石化されたものとされている。

 

示相化石を見れば当時の環境がわかり、示準化石を見れば年代がわかると習った。

古生代、中生代、新生代で見つかる化石の種類が違うことから、地層も化石も長い時間をかけてゆっくり形成されたという説明に違和感を感じることなんてなかったと思う。

 

でも創造論ではそうは考えない。

地層も化石も、世界規模の大洪水、いわゆる「ノアの大洪水」によって一挙に形成されたと考える。

 

地層がゆっくり堆積されていった場合、化石は形成されないのだそうだ。

ゆっくり土砂が堆積していくと、生物は化石になる前に風化してしまうのだとか。

化石ができるには、大洪水のような急激な変化によって急激に高圧力がかけられないと形成されない。

 

専門家じゃないのでそれが本当かどうかは僕にはわからないが、この主張を聞いて最初に思ったのは、じゃあなんで生物の化石は地層の深い方から上に向かって順番に並んでいるのかということ。

 

下の方ほど下等生物で、上の方ほど高等生物の順番になっているじゃないか。

これは進化論にとってかなり強い証拠になると思う。

これに対しての創造論の反論はこうだ。

 

地層における化石の順番は進化発展の段階を示していない

みずには「ふるい分け作用」があるので、細かくて比重の大きいものは下に沈殿し、大きくて比重の軽いものは上に沈殿する。

 

つまり、ノアの大洪水によって、比重の大きい細菌などの微生物が下層にいき、その上に貝などの海底生物、そしてその上に海の無脊椎動物が重なっていったと考える。

魚は泳げたのでその上に、陸上の生物はその上、鳥はその上。

人間は高い山の上などに逃げたので、最も高い地層で発見される。

 

この本には大洪水によって地層と化石が急激に形成されたという根拠がまだまだ書かれていたけど、進化論が頭にある僕にはすぐ納得しろと言われてもなかなか受け入れづらいものばかりだった。

 

だからといって、それは絶対違うだろ、と言い切れるものでもないので、そういう可能性もあるんだろうな、という感想しか出てこない。

 

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人類は猿から進化して生まれたのではない

創造論が最も力を入れて主張しているなと感じるのがこの点。

人類は猿や猿に似た動物から進化して生まれたわけではない。

この主張に力が入るのもわかる。

 

人類が猿から進化して生まれたものだなんて、聖書を拠り所としているキリスト教徒としては複雑な気持ちだろうから。

でも考古学的な根拠がなければ、いくら人類は初めから人類として生まれてきたんだと主張しても受け入れ難い。

 

創造論ではどのような根拠で主張しているのだろうか。

 

進化論では、人類は猿人から始まって、原人、旧人、新人と進化してきたとされている。

でも実際は、現生人類が旧人や原人と共存していたり、猿人と原人が共存していた証拠が見つかっているのだそうだ。

 

つまり、猿人や原人は、現在の人類に至る進化の過程ではなくて、大洪水前に絶滅してしまったまったく別種の生物ということになる。

 

だったら猿が進化して人類が生まれたという説はどうなるのか。

 

人間ははじめから人間として創造された

進化論では、生物は単細胞生物から無脊椎動物、魚類、両生類、爬虫類、鳥類・哺乳類、人間というように進化してきたとされている。

 

でもそうだとすると、その進化の過程に出てくるはずの「中間型」の発見が少なすぎるというのが、創造論の主張だ。

 

それに対して進化論では、小さな進化がたくさん積み重なったとする「漸進的進化説」から、間をすっ飛ばすように飛躍的な進化を繰り返した「断続平衡説」を唱える人が出てきた。

たしかに断続平衡説はちょっと苦しい説明な気がする。

 

じゃあ創造論ではどう考えているのか。

創造論では、人間ははじめから人間として創造されたとしている。

人間だけでなく、それぞれの種ははじめからその種として創造されているという考えだ。

 

馬ははじめから馬だし、猫ははじめから猫。

決してアメーバのような単細胞生物から進化してきたわけではない。

そもそもアメーバのような単細胞生物は仕組みが単純だと思われがちだが、一個の細胞として比べると、アメーバのほうが構造はずっと複雑だ。

 

他にもエントロピーの法則やシーラカンスの例を使ったりして生物が進化によって生まれたわけではないことを主張している。

 

中間型が見つかっていないだけと主張する「漸進的進化説」。

急激な進化を定期的に繰り返してきたと主張する進化論の「断続平衡説」。

種ははじめからその種として生まれたとする創造論。

 

うーん、どの説もなかなか厳しいっすね…。

 

進化論でも創造論でもない新たな説は生まれるのか

結局、進化論も創造論も生物に関しての根本的な謎を解決することはできていない。

それは、「そもそも最初の生物はどうやって生まれたのか」

 

この疑問が解決されないからこそ、宗教的な結論につなげる人が多くいるのだろう。

グレートサムシングが生物を生み出したという結論でお茶を濁さざるを得ないのは仕方がない。

 

この問題が根本的に解決されるには、物理学でいう超弦理論のような、全ての矛盾を解決できる統一理論が生物についても出てくるのを待つしかないのかもしれない。

 

とりあえずこの時点での僕の見解。

進化論も創造論もびみょー。