孤独なおちんちん

かなり恥ずかしがり屋な30代独身男性の孤独なブログ(U)主に自己啓発系の書評や自分の人生について語ります(U)

自己肯定感が低いまま、もがき続ける人生もそれはそれで悪くないんじゃないか。

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「自己肯定感が低いまま、もがきながら生きていくのも悪くないかもしれない。」

僕はこの記事を読んでふとそう思いました。

logmi.jp

 

自己肯定感が低いと本当に生きづらいです。苦しいです。

実際一般的には、「自己肯定感が低いのは良くない!自己肯定感を上げろ!」みたいなことばかり言われます。

 

でも僕はそれだけが答えじゃないような気がしてきました。

 

僕もかなり自己肯定感は低いです。

そのせいでたっぷり苦しんできましたし、これからも苦しむでしょう。

そして何とかしたいともがきにもがいてきましたし、これからももがき続けると思います。

 

そんな人生イヤだな、とずっと思っていました。

でも、もがき続ける人生もそれはそれで良いのかもしれません。

 

もちろん、自己肯定感が低くて、何とかしようともがき続けるのは苦しいです。

でもそこに生まれるエネルギーというか、生きる力みたいなものもあります。

適切な表現かどうかわかりませんが、それって美しいと僕は感じました。

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僕は元々子供の頃、自己肯定感は低くありませんでした。

やりたいこと、興味のあることがあれば、どんどん突っ込んでいくタイプでした。

もちろん打ちのめされることの方が多かったです。

 

何度も打ちのめされているうちに、自分の能力に限界を感じるようになっていきました。

 

また、周りの目なんて関係なく何にでも突っ込んでいく僕の事を疎ましく思う人もいました。

そのような目に何度もさらされるうちに、僕はだんだん臆病になっていきました。

 

子供の頃にどんどん低くなっていった自己肯定感をなんとかしたくて、僕はもがき続けました。

 

大学では陸上部に入って、身体を鍛えることに没頭しました。

体を鍛えれば自己肯定感が上がると信じていました。

でも表面的に変わったような気がしても、根本的には何も変わりませんでした。

 

ビジネスや営業の仕事で成功すれば自分は変われると信じて、ネットワークビジネスにハマったこともありました。

証券会社に入社して、営業の仕事に没頭したこともありました。

 

でも根本的な自己肯定感が上がることはありませんでした。

 

他にもいろんなことを試しながらもがいて生きてきました。

とにかくもがいては挫折して、もがいては挫折してを繰り返してきました。

 

そこらへんの詳しい話に興味があればこちらをみてください↓

www.taketakeshi.net

今でも振り返って思いだすと、苦しかったなと思います。

そしてこれからももがいて苦しむことは増えていくと思います。

 

でも、もっと俯瞰して見てみると、もがいている自分て、実は充実しているんじゃないかなと思ってみたり。

 

もがいて苦しんで、もがいて苦しんで、もがいて苦しむことに人生を集中しています。

その時その時で必死なんです。

 

それって、意外と悪くないんじゃないかな、なんて思いました。

それは、最初に紹介した記事のこの部分を読んで、より確信になりました。

自分がすべきは「目の前のことに集中する」

私自身が今、とても大切にしていることがあるんです。それは、未だに自己肯定感の低さとどう向き合っていくかというのが、私の大きなテーマなんですね。やっぱり認められないって瞬間が、いろいろ現れます。それがあることによって、なかなか周囲と適切なコミュニケーションがとれなかったり、周囲から言われたことが私を否定しているんじゃないかって思って、反発してしまったり素直なコミュニケーションがとれないことはいつもあります。今心がけていることは、「目の前のことに集中する」です。例えば、私自身がバッターボックスに立っているとしますよね。そうすると、「私がこのバッターボックスに立ってていいのかな」「周りの人は私のことをどう思っているんだろう」と考えること自体が馬鹿馬鹿しいですよね。そんなこと、意味がないじゃないですか、もうすでにバッターボックスに自分自身は立っているので。自分がやるべきなのは、目の前に集中して、力一杯バットを振りにいくことだと今は思っているんですね。本当に目の前にあること、今目の前に置かれている環境。それ自体に集中して、大切にしていこうと思っております。

働く女性を阻む「自分を認められない病」克服のカギとなったのは3つの経験だった - ログミー

 

この方も長年自己肯定感の低さに苦しんできています。

その中でたどり着いたのが、「バッターボックスに立ち続けて必死にバットを振り続ける事」だったのです。

 

僕はずっとこの自己肯定感の低さをなんとかしたくて、必死でバッターボックスでバットを振り続けてきました。

ほとんどが空振りです。

 

でも僕はバッターボックスに立ち続けることができていること、そのものに意味があると思い直しました。

 

よくベテランの野球選手が、「野球ができているだけで幸せ」としみじみ言うことがあります。

僕ももしかしたら「バッターボックスに立てるだけ」で幸せなのかもしれません。

 

バットを振り続けるのも、ボールにバットが当たらないのも苦しいですが、必死でブンブンしているその姿は美しいんじゃないでしょうか。

 

だから僕はブンブンし続けます。

ブンブン丸です。

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ちなみに、僕がこんなことを思ったもうひとつのきっかけが、たまたま今日記事にしたホリエモンの『多動力』です。

www.taketakeshi.net

僕は以前、堀江貴文イノベーション大学校(HIU)というオンラインサロンに入会していました。

そこで見たホリエモンこと堀江貴文氏は、本当に他人の目なんて一切気にしないでやりたいことをどんどんやっている人でした。

 

もちろんホリエモンだって、他人にあーだこーだ言われて何ともないわけがありません。

でも、それ以上に自分の人生を生き切ることにすべてを懸けていますk。

 

他人にバットを振るのをやめろと言われても振り続けるのがホリエモンです。

 

 

自己肯定感が低いから人生が楽しめないというのは間違っていると思います。

自己肯定感が低いからこそ楽しめる人生があるのだと。

 

「もがいて苦しむのも案外楽しいんじゃない?」

 

僕と同じように苦しんでいる人にはそう言いたいです。