孤独なおちんちん

かなり恥ずかしがり屋な30代独身男性の孤独なブログ(U)主に自己啓発系の書評や自分の人生について語ります(U)

『苦役列車』感想 落語の「人間の業の肯定」に通じるものを感じた

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苦役列車は、当時西村賢太さんが芥川賞を獲ったときにさらっと流し読みした程度で、そのときは「なんだかお下品な小説だなあ…」くらいにしか思っていませんでした。

その後映画版も見ることはなかったのですが、今回たまたま映画の苦役列車を見ることができました。

 

苦役列車を見終わってまず最初に「これは落語だな」と思いました。

最初から最後まで貫多のどうしようもない生活ぶりが描かれているのですが、まあとにかくどうしようもない。

 

しかもこれが空想上の人物ならまだしも、実際に西村賢太さんが生きてきた姿を小説にしたものということで、ますますしょうもねえなあという気持ちにさせられます。

 

「人生の不条理さを描いている」という表向きのテーマはあるかもしれませんが、本当は西村賢太さんはそんなことを考えて書いてはいないのではないかと思います。

 

どうしようもない生き方なのにシリアスな空気にはなりすぎず、だからといって、どうしようもない人生だけど明るく前向きに生きていこう、というようなメッセージ性は出さず。

ただ淡々とどうしようもない人生を描いています。

 

小説でも映画でも最後、後に小説家の道につながっていくきっかけとなるシーンはありますが、それは「どんなにダメな人生でも夢を持って生きよう」というような陳腐なメッセージを発しているわけではなく、ただ「この時小説家になるきっかけがありましたよ」と描写しているにすぎません。

 

まあでも映画のほうは、抑えめにはしていたものの、最後の最後にちょっとサクセスストーリーの匂いが出てしまっていましたけど。

 

いずれにしろ、苦役列車の根底に流れているのは「人間の業を肯定も否定もしない」

ということだと僕は感じました。

そしてこれは落語にも共通しています。

 

落語家の立川談志師匠は「落語は人間の業の肯定」ということを言っています。

落語は不条理な出来事を笑いに変えたり、どうしようもない人間を笑いに変えたりと、「人間の業」をネタにしています。

 

元落語家の伊集院光さんも昔からラジオでは人間の業を笑いに変えるようなコーナーをいくつも作ってきています。

 

西村賢太さんも不条理な人生を生きる中で、自分自身の業を肯定も否定もしない、というスタンスに行きついたのかもしれません。

 

「人生で必要なことはすべて落語で学んだ」

という本では、苦役列車と共通するような含蓄の含まれた落語が紹介されています。

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挫折したって歩いて行ける

居残り佐平次

右を向いても左を向いても貧乏人が集まったとある長屋。その輪にいた佐平次という男が「品川宿にある遊郭に繰り出そう」と言い出した。金もないのにどうやって?と思いながらも一同、品川へ。 一泊して後、佐平次は「実は結核に罹って医者から転地療養を勧められていた。だからここに残る」と言い出し、ほかの仲間を帰した。 その後若い衆に「勘定はさっきの仲間が持ってくる」といい居続け。翌日も「勘定勘定って、実にかんじょう(感情)に悪いよ」とごまかし、その翌日も居続け、しびれを切らした若い衆に、「あいつらなんて知らないよ」「金?持ってないよ」と宣言。店の帳場は騒然。 佐平次少しも応えず、みずから店の布団部屋に篭城した。
やがて夜が来て店は忙しくなり、店は居残りどころではなくなった。佐平次頃合を見計らい、(勝手に)客の座敷に上がりこみ、 「どうも居残りです。醤油もってきました」 「居残りがなんで接待してんだよ・・ってやけに甘いな、このしたじ(醤油)」 「そりゃあ、蕎麦のつゆですから」 「おいおい・・・」 などと自分から客をあしらい始め、謡、幇間踊りなど客の接待を始めた。 それが玄人はだしであり、しかも若い衆より上手かったから客から「居残りはまだか」と指名がくる始末。これでは彼らの立場がない。 「勘定はいらない。あいつに出て行ってもらおう」となった。
佐平次は店の店主に呼び出され、「勘定はもういいから帰れ」といわれ追い出された。しかもその折に店主から金や煙草をせびり、もらっていく始末。 心配でついてきた若い衆に、 「てめえんとこの店主はいい奴だがばかだ。覚えておけ、俺の名は遊郭の居残りを職業にしている佐平次ってんだ、ガハハハ・・・」と捨て台詞を残して去っていった。 若い衆は急いで店主に報告する。すべてを知り、激怒する店主。 「ひどいやつだ。あたしの事をおこわにかけやがったな」 そこで、若い衆が一言。 「旦那の頭がごま塩ですから・・・」

居残り佐平次 - Wikipedia

この落語に出てくる佐平次は、苦役列車の貫多にも通じるようなどうしようもない性格の人間です。

でも佐平次は自分が散々お金と時間を費やしてきた遊びの経験と元々持っている図太い性格を使って商売をするようになります。

 

これだけのクズ人間ですが最後に痛い目に遭うわけでもなく、だからといって才能あふれた人間の成功物語として語られるわけでもありません。

 

ただ佐平次とその周りの振り回される人間をおもしろおかしく語るだけです。

でも苦役列車の貫多が極限状態の中で小説家としての道を見出していくように、佐平次も極限状態の中それを突破していきます。

 

つまり、

「挫折したって歩いて行ける」

ということを苦役列車と居残り佐平次から学ぶことができます。

 

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見栄を捨てればコンプレックスはプラスになる

唐茄子屋政談


商家の若旦那(東京では徳兵衛、上方では万蔵)は、道楽が過ぎて勘当され、親戚を頼っても相手にされず、友人からも見放され、橋(東京では吾妻橋)から身を投げて自殺をはかろうとする。そこへ若旦那の叔父が偶然通りかかり、若旦那を押しとどめる。叔父の家で食事をふるまわれた若旦那は、「心を入れ替えました。何でも叔父さんの言うことを聞きます」と約束する。
翌朝、若旦那は叔父に起こされ、「お前は今日から俺の商売を手伝え。天秤棒をかつぐのだ」と命じられる。叔父の職業はカボチャの行商人であった。若旦那はひとりで慣れない重い荷物をかついで歩くうち、転び、カボチャをばらまいてしまい、思わず「人殺しィ!」と叫ぶ。
若旦那の叫び声を聞きつけた人々が集まってくる。若旦那の身の上話を聞いた人々は同情し、カボチャを買う。カボチャは残り2個になる。
通りでは、ほかの行商人たちが売り声を張り上げている。若旦那も負けじと声を出そうとするが、勇気が出ない。ひと気のない田んぼ道で売り声の練習をしているうち、そこが花街(東京では吉原遊廓、上方では新町遊廓)の近所であることに気づき、遊女との甘い思い出に浸るうち、売り声がうた沢の『薄墨』になってしまう。

 


若旦那は、気を取り直して歩き出す。裏長屋(東京では三ノ輪と設定される)を通りかかり、演者の地の語りによれば「どこか品のある」女に呼び止められて、カボチャを1個売る。若旦那は女に、自分の弁当を食べる場所を提供してくれるように頼み、女は了承する。若旦那が玄関に腰かけると、幼い少年が若旦那に駆け寄って、弁当をねだり始める。少年は、女の息子であった。女は「自分の夫は浪人を経て遠くで行商をしているが、最近は送金が滞っている(あるいは、その夫に先立たれた)」という身の上話を若旦那に聞かせる。同情した若旦那は、少年に弁当を与え、女にカボチャの売上金を押し渡して長屋を去る。
若旦那が叔父の元に帰り、今日あったことを説明するが、叔父は「遊びに使ってしまったのだろう」と言い、なかなか信用しない。若旦那が叔父を裏長屋へ連れていくと、住民が母子の長屋の前に集まっている。聞くと、「八百屋(若旦那)を追いかけた女が長屋の大家に出くわし、溜まった家賃の支払いとして金を取り上げられ、それを苦に心中を図った」という。怒った若旦那は、大家の屋敷に飛び込んで大家を殴り、長屋の住民もそこへ加勢して、大騒ぎになる。
奉行所の裁きの結果、大家は厳しい咎めを受けることになる。母子は、周囲の介抱の甲斐あって健康を回復し、若旦那の叔父の持つ長屋へ身を寄せる。
当の若旦那は、母子を助けた功が認められ、奉行所から賞金を受け取ることになり、実家の勘当も解かれ、のちに商人として成功を歩むこととなる。

唐茄子屋政談 - Wikipedia

この落語の主役である若旦那はまさに苦役列車のごとく不条理な目に遭いまくるのですが、最後にこう悟ります。

「劣等感というのは、結局は見栄から来ることが多い。見栄さえ捨ててしまえば、人間はどんな窮地に落ちても立ち直ることができる。むしろ、その時のほうが力が湧く」

 

苦役列車の中では、西村賢太さんの分身である貫多が中卒であるというコンプレックスと女にモテないというコンプレックスを抱え続け、問題も起こします。

 

でもそんなコンプレックスの塊だった西村賢太さんも見栄を捨ててありのままを小説にしたからこそ芥川賞を獲ることができました。

 

 

今回苦役列車を見終わった後、僕は肩の力がふっと抜ける感覚がありました。

それは、僕が高校生の頃悩んでいた時に、伊集院光さんのラジオで「だめにんげんだもの」というコーナーを聞いて救われたのと似たような感覚でした。

僕も自らの業を肯定しつつ、とりあえず明日風俗に行こうと思います。