孤独なおちんちん

かなり恥ずかしがり屋な30代独身男性の孤独なブログ(U)主に自己啓発系の書評や自分の人生について語ります(U)

没頭できる事があるかどうかで仕事が好きになれるかが決まる

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高校生と将来の仕事について話しをしていると心配になってくる。
ある子は将来ロボットを作る仕事に就きたいと言う。
でもその子はまだ一度も実際にロボットを作ったことはない。


じゃあなんでロボットを作る仕事に就きたいと思うようになったのか。
それはどうやらこれまでに読んだ本の影響のようだった。
人間を超えるロボットを作ってみたいという憧れがあるようで、いやー、そういう大きな夢があるって良いなあなんて思いながら色々と話を聞いていた。


ところが話を聞いているうちに、あれ、これって、ロボットを作ることが好きなんじゃなくて、その本が好きなだけなのでは…?
と思い始めた。


その子はロボットを作ったことがないのだからロボットを作ることが好きかどうかは分からない。
でも本を読んでいてロボットを作ることが好きだと感じたのは間違いない。
ということは、その子は厳密にはその本の世界観か何かに興奮して、その本を読むことに没頭して、その結果ロボットを作りたいと感じたわけだ。


じゃあつまりこの子が好きなのはロボットを作ることではなくて、その本自体が好きなんじゃないか。
実際その子は小説を書くことにも興味を持っている。


それも多分本の影響のようなんだけど、これもまたその子はあくまで本を読むことには没頭できるみたいなのだけど書くことには没頭できないようで、まったく筆が進んでいない。


つまりこの子は好きな本を読んでいるときの没入感が好きなんだけど、それがロボットを作ることが好き、小説を書くことが好き、というふうに思うようになったんだなと。

 

他にも、将来はゲーム製作会社に入ってゲームを作りたいと言っている子がいる。
その子はゲームがものすごい好きで、進学校にもかかわらずとにかくゲームばかりしている。


でも実際にゲームを作ったことはない。
ゲームを作ったことはないのでゲームを作ることが好きかどうかは分からない。
ゲームをするのは好きだからゲームを作ることも当然好きになるだろうと本人は思っているのだろうけど、それは実際にやってみないと分からない。

 

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この2人の子と話をしていて僕が心配になったのは、この子たちが将来仕事を選ぶときに苦労するんじゃないかということだ。
就職先を探すときこの2人は当然好きな仕事をやりたいと考えるだろう。
だけど好きの基準が曖昧な今のままでいくと、ただのイメージだけで就職先を選ぶことになる。


そうすると会社に入った後で「これは自分のやりたかったことと違う」と苦しむことになるかもしれない。
「好き」の定義が曖昧なままだと失敗する確率は高い。

 

じゃあ「好き」の定義とは何なのか。
僕は「仕事自体にどれだけ没頭できる瞬間があるか」だと思う。
もしゲームを作るのが好きというのであれば、ゲームのプログラムを書くこと自体に没頭できるとか、ゲームの企画を考えることに没頭できるとか。


もし営業であれば顧客と商談すること自体に没頭できるとか、新規開拓自体に没頭できるとか。
その仕事に没頭できる時間が長ければ長いほど、没頭できる種類が多ければ多いほどその仕事が好きといえる。

 

つまり好きなことを仕事にしようと思ったときに考えなければならないのは、その仕事にどれだけ自分が没頭できる瞬間がありそうか、という部分。
キーワードは「没頭」。


これ、当たり前だと思っている人には当たり前すぎる事実なのだろうけど、気づかない人はどこまでいっても気付かない。
実際僕は20代の頃それに気付けずに転職を繰り返していたし、ニートになったこともあった。

 

僕は小さい頃から夢見がちな子だったので、何かを決めるときは大体憧れが基準だった。
小学生の頃は漫画の影響で考古学者になりたいと思っていたし、中高生の頃は小説家になりたいと思っていた。
大学生の頃や社会人一年目の頃はバリバリ働く営業マンか経営者になりたいと考えていた。


でも全部、その仕事自体に自分が没頭できる要素があるかどうかなんて考えたこともなかった。
そして実際に僕にとって没頭できるポイントはなかった。


営業の仕事ではかなり結果も出ていて憧れていたバリバリ働くトップ営業マンに一時的にせよなれたはずなのに、そこに楽しさは全くなかった。
今から思えば当然だ。
僕は営業の仕事に没頭できなかったから。

 

「好きな仕事」とは「没頭」のことなのだという単純な等式にもっと早く気付けていれば、僕の20代から30代前半はまったく別のものになっていただろう。


そして今僕が接している子供達にはぜひ「好き」とは何か、自分は何に没頭できるタイプなのかをしっかりと認識してほしいと思って話をしている。