孤独なおちんちん

かなり恥ずかしがり屋な30代独身男性の孤独なブログ(U)主に自己啓発系の書評や自分の人生について語ります(U)

幸せになるためには絶望と諦めが必要『人生の目的が見つかる魔法の杖』

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「絶望するために努力する」

こういうと、ああ、絶望するくらい努力すれば結果が出るってことか、とイメージすると思う。

 

でもここで言っている絶望のための努力は、本当に言葉の通りだ。

努力は結果を出すため、成功するためにするのではなくて、絶望の淵を見るためにする。

 

「人生の目的が見つかる魔法の杖」

この本は、タイトルや表紙に書いてあることだけを見ると、よくあるスピリチュアル系の本かなとか、とにかくプラス思考でいきましょう系の本かな、という印象を受ける。

でも実際に読んでみると、なかなかに冷酷だ。

 

まず一番びっくりさせられたのは、

「どれだけメンタルトレーニングなどの能力開発をしても、成功できない人はできないし、逆に何もしなくても成功する人は成功する。」と言い切っていたこと。

 

著者自身も長年の指導経験の中でこの点に悩まされてきたらしい。

まあそりゃあ能力開発に関して第一線で活躍されている方なのに結果を出してあげられない人が少なからずいるという現実にぶち当たれば、悩みもするでしょう。

 

そしてそんなどうにもならない現実にぶち当たって、著者がたどり着いた境地が

「絶望するために努力する」ということ。

 

絶望するほどの努力をして自我を破壊する

絶望するために努力するという言い方は、この単語のほうが僕には腑に落ちやすかったのでこういう言い回しにしたけど、実際この本の中では違う表現で書かれている。

「どん底まで落ちる」

「徹底してあきらめる」

「死をイメージする」

それぞれ表現は違うけど、根底にある考え方は一緒だ。

なぜこんなことをしなければならないかというと、

「自我を徹底的にぶっ壊す」ためだ。

 

やる気が出ない、努力ができない、生きるのが虚しい、充実感がない、夢が持てない、など、幸せになれていない人はいくら努力しても幸せにはなれない。

それは、肥大した自我が邪魔をしているから。

日々の仕事に不安を感じたり時には無力感を感じたり。

 

満足いく結果を出せたとしてもそれは一時的なもので、結局はまた結果を出さなければと追いかけられるような焦りを感じながら仕事をする。

仕事だけでなく、生活全般にも同じことがいえる。

 

過去に後悔し未来におびえている。

このままではいけないといろんなことをしてみるものの心からの充足感を味わうことはない。

 

これは社会的に成功しているかどうかは関係ない。

むしろ社会的に成功している人のほうが苦しみやすい。

 

傍から見れば成功して幸せそうに見える経営者やスポーツ選手や芸能人が実は大きな闇を抱えていたなんてことはよくある話。

それは社会的な成功に近づいていく中で自我が肥大していったから。

 

テレビや本やネットでは幸せになる方法、不安を消す方法、成功する方法など、いろいろなテクニックが語られる。

でもそんな表面的なテクニックで実際に幸せになれるのは、元々放っておいても幸せになれる素質を持った一握りの人間だけだ。

 

ほとんどの人は何も変わらないか、または逆に堕ちていく。

そのような苦しみから抜け出るには、自我を徹底的に破壊するしかない。

 

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自我が破壊されたら、徹底的にあきらめる

努力して努力して、それでも結果が出なくて、失敗だらけで、となると、絶望に打ちひしがれる。

でもそれだけでは今までと何も変わらない。

 

自意識がぼろぼろになって絶望に浸っていても、結局人間は後ろめたさや後悔の気持ちが無意識に湧いてくる。

これでもかというくらい打ちのめされた後にしなければいけないのは、

「徹底してあきらめること」

今度は徹底して努力をしないようにする。

少しの後ろめたさや後悔が湧いてこないくらい徹底的にあきらめる。

 

努力しつくした後に完全にあきらめの境地に浸っていると、心がデトックスされる。

肥大した自我や理屈で固められた頭がリセットされると、心質が変わる。

 

心質が変わると、今まで自分のためだけに動いていたのが他人のために動けるようになったり、損得勘定だけで動いていたのが感動・感謝・感激の心を基に動けるようになってくる。

そして、この本のタイトルにもあるように、人生の目的、そして幸せな人生が見えてくる。

 

1,000日間歩き続ける「千日回峰行」という苦行を成し遂げているお坊さんも、これと同じようなことを語っています。

logmi.jp

今から2,500年前、釈尊は「同じことを同じように繰り返して、情熱を持って毎日を過ごしていると悟る可能性がある」と言われました。ここに行の意味があります。日々、汗し、涙し、そして歯を食いしばって歩いていると、「人間として大切な物は何か」ということに気が付き始めます。その極限の世界で感じたことが「感謝の心」であり、「反省の心」であり、相手を思いやる「敬意の心」だと(いうことです)。しかし、こういうことは日常ではとても当たり前であり、小さい頃に家庭で教わるようなことです。けれども、自分自身が本当に生きるか死ぬかの瀬戸際になった時、「こういうことが大事だったんだ」ということが心の奥底で実感できるようになるのであります。

この大自然は微妙かつ素晴らしいバランスで包み込まれています。人間がどのような技術をもってしても作れない、素晴らしい世界に包まれているのです。ここにいることだけでも感謝だと思います。

そして、人と人、心と心が通い合った時、私たちはこの上もない幸せを感じるものだと思います。私たちはそのためにこの地球に生まれてきたんだと思います。

結局、人生は「つまらない」

そもそも、人生の目的だとか、幸せだとか、やりがい、生きがいなんてものは、自分の頭の中だけにある幻想みたいなもの。

そんな幻想に囚われている自我なんかぶっ壊して、とりあえず外に飛び出そうぜ、といいう話。

どうせ人生なんてつまらないものなんだから。